竹内流柔術日下捕手開山

 宗家十四代目

竹内藤一郎

〒709-3104

岡山県岡山市建部町角石谷1124

■ 電話(086)722-3380

  竹内藤一郎

由来

 竹内流は、美作国垪和郷一之瀬城主竹内中務大輔久盛によって創始された。久盛は、愛宕神を拝し垪和郷三之宮に参籠す。時に天文元年(一五三二)老翁現れ、一術を示さんという。久盛二尺四寸の木刀で撃つも、翁、踵を回さずして膝下に敷く。再戦するも無刀の翁に応ずる事難しく、神業也。翁曰く「凡そ敵に向かいて速やかに殺生降伏せしむ。之を兵法と言う」。また、久盛の持ちたる木刀を二つに折り、長きは益なしと小刀となし、「之を帯せば小具足也」と。今に小刀を小具足という事、これに始まる。また、菖を取り武者搦を授けて迅縄と号す。かくして、捕手五ケ条、腰廻小具足を神伝す。久盛の子久勝は元和六年、後水尾天皇より、その子久吉は寛文三年、霊元天皇より、「日下捕手開山」の称号と、永代、藤一郎の通名の御綸旨を賜り、三代で流儀を完成する。以来、四百数十年の間、三十数流の支流に発展し、数万の門弟を育て現在に至る。

系譜

流祖・竹内中務大輔久盛-竹内常陸介久勝-竹内加賀介久吉-竹内藤一郎久次 (以下竹内藤一郎略) -久政-久重-久孝-久愛-久居-久雄-久則-久継-久教-久宗(当代)

流儀の特徴

 竹内流はあくまで護身の武術であって、決して攻撃の武術ではない。しかしながら、最後の自衛のための武術行使は許される。すなわち太刀に対して小刀を、武器に対して徒手空拳をもって立ち向かい、敵を制すること。

活動状況

●稽古場及び支部
 ▽本部道場
 ▽落合町道場
 ▽中央町道場
 ▽岡山祇園支部
 ▽神奈川県支部
●文化財指定
 昭和五十一年岡山県史跡指定
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