代表 森本 邦生 〒738-0034 広島県廿日市市宮内1480 ■ 電話 080-1908-0206 ■ 澁川一流柔術 ホームページ |
澁川一流柔術の流祖、首藤蔵之進満時は、彼の叔父で宇和島藩浪人と伝えられる宮崎儀右衛門満義に連れられて廣島藩安芸郡坂村に居住した。蔵之進は宮崎儀右衛門を師として、澁川流および難波一甫流を習得し、さらに武者修行の途上、浅山一伝流をも習得して三流をもとに「澁川一流柔術」を創始した。
ある日、廣島城下に出ていた首藤蔵之進は五、六名の廣島藩士と争いとなったが、澁川一流柔術の業でこれを難なく退けたところ、たまたま居合わせた松山藩士がこの見事な働きを見ており、その藩士の推挙によって松山藩に仕えることになったと伝えられている。これは天保十年ころのことといわれているが、この後、首藤蔵之進は小玉平六と名乗り、松山においても澁川一流柔術の教授を行い、大正の頃まで伝承されていたという。
明治維新以降は親族のいる広島県安芸郡坂村にたびたび帰り、広島の門弟にも澁川一流柔術を伝え残し、明治三十年、八十九歳で松山において没した。
師伝によれば、澁川一流の流名は首藤蔵之進が修行した三つの流派の流名に由来し、あわせると澁川一甫一伝流となり、この意から「澁川一流」と命名されたと伝えられている。
流祖・首藤蔵之進満時-宮田友吉國嗣-車地國松政嗣-畝重實嗣昭-森本邦生嗣時
澁川一流柔術の形は、徒手に対して徒手や懐剣、三尺棒、刀などの仕掛けに応じる術と棒術(互棒・小棒・三尺棒・六尺棒)、十手術、分童術、鎖鎌術、居合術などの得物を用いる術から成り立っている。
形は四百ほどあるが、その特徴はすべての形に飾り気がなく、素朴で単純な動きで相手を制するところにある。
形は受の仕掛けの方法によってグループ分けされており、はじめに稽古する履形(受が中段または下段を突いてくるのを制する形)の三十五本の形がすべての形の基本となっている。
それぞれの形のグループの多くには「礼式」があり、そのなかに受を制することなく、押し返すのみの動作がある。これは澁川一流柔術の理念が、人と争わないことにあるということを表している。
形の稽古のほかに、鍛錬法として棒抜けや枕引きなども伝えられており、柔道の乱取に相当する意地(治)稽古も伝えられている。
中極意之巻、免許皆傳之巻、上極意之巻、居合之巻
廣島護国神社奉納演武
京都下鴨神社奉納演武
京都白峯神宮奉納演武
明治神宮奉納演武
厳島神社会員術技向上演武会
廿日市天満宮奉納演武
●稽古場及び支部 |
▽廿日市市立七尾中学校柔剣道場 |
毎週月曜日 午後6時半?9時 |
▽廿日市市スポーツセンター武道場 |
毎週土曜日 午後2時?5時 |
分童・乳裏 | 三尺棒・捻付 | 鯉口・小尻返 |