武田流合氣之術(武田流兵法)

 四十五世宗家

日影 渉

〒816-0931

福岡県大野城市筒井1-7-17

■ 電話 092-683-5225

■ 武田流合氣之術 ホームページ

   http://takeda-hyoho.info

  池田 一晶

由来

 始祖.清和源氏新羅三郎義光より伝わり甲斐武田家に受け継がれた。
 天文十年に武田信虎が息子、武田信玄に追われ駿河の今川に捕らわれの時、九子信友に兵術を相伝。
 信友は房総へと移り勝千代へと伝えた。
 この時弓馬、軍馬の術が失伝し、小具足、體術、長刀、槍、太刀打ち等の兵法故実八芸を相伝とされ、勝千代は武将石田三成の計らいにて黒田藩へと赴き、九州に秘術が伝わる。
 その後、九州にて武田五郎の代より四代にかけ、楊心流、無眼流、疋田陰流等も修行し、八流の皆伝を受け四流の併伝が採り入れられた。

 三十八代の頃より武田流中極意十二カ条の内、五カ条より捕手柔術が出来たとされ、四十一代武田忠勝の時、旧黒田藩士から成る玄洋社の護身術として武田の捕手柔術が教授され、時代に合った捕手柔術が、主に教授されるようになった。
 この頃より捕手柔術が武田之合氣と呼ばれるようになる。
 又、時代の変化に異論を唱える四十代からの古伝相伝家達が古伝の相伝を許さ ず、源武会を立ち上げ独自の継承を行い、合氣之術と古伝武田兵術は二つに別れ別々の継承をするようになった。

 武田流合氣は当時福岡で採り入れた柔道と共に修練され、合氣術を継承した中村吉翁が四十二代を名乗り、四十三代大庭一翁へと受け継がれた。
 柔道五段、九鬼神流の皆伝でもある大庭は、伝えられた技に独自の技を採り入 れ、武田流合氣之術を更に大成させ、聖武殿を立ち上げ全国に広めた。
 大庭一翁が広めた合氣之術は多数の新派を発生させている。
 大庭一翁亡き後は高弟、池田一晶が継承、また池田は晩年より、武田流の保存を考え、四十一代の頃より枝分かれした古伝相伝家との仲を取り成し、四人しか残されていなかった古伝相伝者の一人、日影を弟子に取り、合氣之術を相伝させる事により、武田流の古伝兵術と合気術を元々の一つの流れに戻し保存継承するよう務めた。
 現在武田流は、表芸に合氣之術、内伝に古伝兵術八芸とし四十五代へと受け継がれている。

系譜

始祖・新羅三郎源義光-武田冠者義清-武田源太清光-武田太郎信義-武田五郎信光-武田小太郎信政-(略)-武田信虎-武田信友-武田勝千代-武田信勝-武田五郎-武田信隆-(略)-武田光伸-武田正昭-武田守之助-武田忠勝-中村吉翁-大庭一翁-池田一晶-日影渉

流儀の特徴

 武田流合氣之術は活殺自在の技に優れ、技の特徴としては手を開いた手刀構えからの投げ固め、手刀打ちに特色がある。
 古伝武田流兵法にては、長刀、槍、體術等合戦兵法にて活殺自在とは言い難く、手数少なく必死必殺の業。
 無手で投げ当ての體術を元に長刀、太刀打ち等に対応する、秘伝の握りに特徴がある。

伝承されている伝書

旧聖武殿保存
大庭一翁より、武田流兵法合氣之術極意之巻二巻

源武会保存
武田流兵法極意相伝八巻
併伝より、静流、八幡流、楊心之巻、神影目録等、計十二巻有り

活動状況

 黒田藩伝武田流兵法保存会を立ち上げ、大庭一翁、池田一晶より伝わる旧聖武殿として年数回の講習会を開く等、合氣之術の継承と保存。
 又、相伝家達と共に内伝として、古伝武田流兵法と併伝流派の保存に務めている。

多田神社での演武多田神社での演武 多田神社での演武多田神社での演武