代表 長沼 悟詮 〒965-0817 福島県会津若松市千石町3-43-302 ■ 電話(0242)88-0090 |
一刀流は伊藤一刀齋景久を始祖とする。景久は小野次郎右衛門忠明に伝え、忠明は小野派と称した。忠明は溝口新五左衛門正則に伝えた。これを溝口派といった。皆一刀流の流れである。正則はこれを伊藤政盛に伝えた。政盛はかつて、会津に来て枝松公忠に伝えようとしたのであるが、半ばにして会津を去っていった。公忠は、池上文左衛門安通に伝授した。しかし、その奥義を尽くすことはできなかったのである。
その後、安通は藩公の命によって、江戸に出て、水島玄益について学んだのであるが、溝口派の真伝ではなかった。そこで安通は研究すること多年にわたり、大いに発明するところがあった。一応、溝口派と称してはいるが、他の溝口派とは大いに異なる点が多かったという。故に会津藩は池上安通をもってその始祖としている。当時溝口派の稽古は、秘して他見を許さなかったが、戦後、全日本東西対抗剣道大会で故和田晋と故好川忠が初めて一般に公開したのである。その後、長沼悟詮が流派を伝承している。
流祖・伊藤景久-小野忠明-溝口正則-伊藤政盛-枝松公忠-池上安 (安道)-池上安廉-町野重勝-町野重祥-町野秀虎-町野重治-樋口光高-和田晋-好川忠-長沼悟詮
溝口派一刀流左右転化出身の秘太刀五本、小太刀三本の形からなっている。この組太刀は打太刀が仕太刀に勝つ剣法となっており、左右の動きに重点が置かれ、終始攻めて勝つ技は他に見られない大きな特色がある。しかも五本といってもそれぞれ表と裏があり、十本の形からできている。また、打太刀は常に先々と出る身となり、退くことを知らず、受ける太刀は皆切る太刀、突く太刀となり、すべてが実戦的剣法で袈裟斬り、逆袈裟斬りに変化する。
若松城(鶴ケ城)内にある武徳殿を道場として、毎週水曜日に、長沼悟詮流派代表より指導を受けている。二十歳代から六十歳代と年齢層は厚いが、この流派の特色でもある左右の動きが激しいため、技を会得することは困難であり、永い年月と努力が必要である。形の稽古希望は誰彼問わず行うことができる。県外からも問い合わせが多く、稽古に来る人がいる。現在、約二十名が稽古をしている。
●稽古場及び支部 |
▽会津武徳殿道場 毎週水曜日午後9時~ |
▽仁愛高校 第2、第4木曜日午後7時半~ |
全勢・袈裟斬り | 大勢・袈裟斬り | 火勢・逆袈裟斬り |