宝蔵院流高田派槍術

 流派代表

駒喜多学

〒619-0212

京都府木津川市梅谷宮ノ谷123 駒喜多事務所内

■ 電話・FAX(0774)73-5557

■ 宝蔵院流高田派槍術ホームページ

https://hozoin.jp/

  鍵田忠兵衛

由来

 流祖・宝蔵院覚禅房法印胤栄は南都興福寺の僧。武芸を好み、柳生但馬守宗厳と共に上泉伊勢守から刀術を学んだ。一方、諸国修行中の槍法の達人、大繕大夫盛忠を坊中に留め槍の修練に努め、ついに鎌(十文字)槍を工夫し、宝蔵院流槍術を創めるに至った。そして高弟中村尚政にその正統を伝え、尚政からその妙術を承継したのが高田又兵衛吉次である。
 高田又兵衛は小倉藩に仕え、以後、子孫代々これを相続した。さらに、その高弟森平政綱ら三名が江戸に出てその槍法を広めたので、大きく世に顕れ、幕末の講武所時代には多くの宝蔵院流の師範がいた。明治、大正期の大家山里忠徳先生より第一高等学校撃剣部の矢野一郎、横田正俊先生や元最高裁判所長官・石田和外先生が伝習し、昭和五十一年に石田先生より表・裏・新仕掛三十五本を西川源内先生に伝授され、発祥の地、奈良に里帰りした。さらに平成三年六月に鍵田忠兵衛先生が、平成二十四年一月に一箭順三先生が、令和二年九月に駒喜多学が流派代表を継承し、今日にいたっている。

系譜

流儀の特徴

 宝蔵院流槍術は鎌槍と称する十文字形の穂先に特徴があります。
 その昔、合戦において甲冑を着けた時の体勢を想定して重心を低く構え、突くだけではなく、巻落とす、切り落とす、打ち落とす、擦り込む、叩き落すなどの攻守に優れた当時としては画期的な武器でした。
 戦場において命をかけた貴重な体験を基とし、攻撃と防御を一体化し、太刀、素槍、弓、長刀などの異種の武器に対し、さらに一対多数の戦い方など必勝を特徴とする。「突けば槍 薙げば薙刀 引けば鎌とにもかくにも外れあらまし」(宝蔵院流・十文字鎌兵法詠歌)のとおり、突くだけでなく、巻き落とす、切り落とす、打ち落とす、摺り込む、叩き落とすなど、攻防に優れている。

活動状況

 流派代表指導のもと、奈良市中央武道場を中心に、名古屋、東京、ドイツにおいて百名の伝習者が稽古に励んでいる。また、毎年九月に開催する興福寺奉納演武大会や春日若宮「おん祭」への奉納、さらに各地で開催される演武会に出場するとともに、宝蔵院伝統の「狸汁」を稽古始に市民に振る舞うなど積極的な周知広報活動も展開している。

●稽古場及び支部
▽奈良市中央武道場(鴻ノ池道場)
▽名古屋道場
▽東京稽古場
▽ハンブルク稽古場(ドイツ)