第十三代宗家 小山 宜子 〒737-0001 広島県呉市阿賀北6-3-1 ■ 電話(0823)71-1746 |
筑後柳河藩御止流楊心流薙刀術は、天正十五年(一五八七)、豊臣秀吉九州平定の時、島津・大友氏の戦いの功績により、九州柳河藩(現福岡県柳川市)二代目藩主となった立花宗茂公が、秀吉没後の関ケ原の戦いで大坂方に与して敗れ、奥州棚倉(現福島県棚倉町)に蟄居した折、警護の士として従った、秋山四郎兵衛によって創始された。流祖・秋山四郎兵衛についての記録は残されておらず、生没年は明らかではないが、口伝によれば剣聖塚原卜傳(一四九〇〜一五七一)とほぼ同時代頃で、卜傳の晩年期の誕生ともいわれている。
元和六年(一六二〇)宗茂公が二十年ぶりに再び柳河藩主に戻った際、正式に柳河藩の御止流となり、城に仕える御殿女中らの護衛武術となった。
その継承は、一子相伝の流派が多くある中、実力によるものとし、薙刀を中心に継承されてきた。
女性が宗家に選ばれた十二代鵜飼柳子の代に、楊心流薙刀術は九州柳河から広島県呉市に渡り、流祖よりの命脈は、当代小山宜子によって伝え継がれている。
始祖・天真正秋山四郎兵衛-大江千兵衛-三浦定右衛門-土肥新蔵-堀田甚内-堀田孫右衛門尉-星野角右衛門-星野龍内-星野平右衛門-調琴之介-松野清三郎-小山(旧姓 鵜飼)柳子-小山宜子
御殿女中がいつ、いかなる攻撃を受けても即座に対処した姿が現在も受け継がれており、振り袖着物姿に襷掛けで白足袋を着用し、襷や鉢巻きは包帯に代用するため、布を縁取りしないものを使用している。変幻自在華麗に七十余りの技を操り、「柳の如くたおやかにして肉を切らせて骨を砕く」の極意をもって敵に対処する。
もともとは総合武術で、薙刀のほか、剣・半棒・鎖鎌・長槍・短槍・柔まであり、流祖は医術の心得もあったといわれる。
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