鹿島神傳直心影流

 二代宗本部長

岩佐 勝

〒273-0003

千葉県船橋市宮本3-8-17

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  岩佐 勝

由来

 鹿島神傳直心影流は、東国の武の中心、鹿島神宮から始まり、「鹿島之太刀」と言われる。「鹿島の神様」として、内で「神流」、外で「鹿島流」といわれ、「鹿島神流」と呼ばれ、一時は、三十以上の流派を輩出した流派の中心的立場にある。
「直心影流」という言葉は、鹿島家筆頭家老、鹿島神宮であった流祖松本備前守が鹿島で一巻の兵法の巻物を賜り、社前にあった木の枝を折って木剣にした由来による。法定之形に使われる木剣が直刀なのは、そのためである。鹿島明神に祈念し、鹿島神伝の御陰で神妙剣一之太刀を授かり、神のおかげとして一時は「神陰流」と名付けた。現在、神宮に奉納されている国宝「直刀」は、日本最古最大の剣で、御祭神の神剣霊剣の名として伝えられる。
 国摩真人を始祖とする「鹿島流」を引き継いだ流祖と、道統二代上泉伊勢守が、鹿島之基本太刀として、法定之形五本を創り上げた。この形の中に、武術の基本である呼吸、気合、手ノ内、間合の計り方、足さばき、気の上げ下げの修練法が示されている。木剣で法定之形を行い、真剣を用いて法定の裏(刃挽之形)をつくった。四代源信斎が、法定を大自然の運行(春夏秋冬)として阿吽の呼吸法を取り入れ、四本にまとめ、さらに、伊勢守が発明した袋竹刀を用いて、実戦に近い韜之形の十四本を加えた。
 五代傳心斎は流名に直心を加え、小太刀之形を六本精華させ、七代一風斎は、寸止めの韜之形では満足できず、八代長沼国郷と共に防具を発明して、剣術の草楷書として、形と打合剣道(当流内ではナガヌマと呼ばれる)の流派を平和な江戸時代の剣道として確立。十代から十二代の眞帆斎の三代で、多才な人材を育て、後の島田虎之助、勝海舟は当流の門人であった。十三代男谷静斎は、幕府講武所の頭取として武道界の頂点に立つ。現在使われている「三八竹刀」は男谷が決めたといわれ、十四代榊原鍵吉は、天覧兜割を行う。
 当流は宗家制度ではなく、流派皆伝実力主義の道統制度を維持していたが、維新や廃刀令という武士に困難な時代を経て、十五代山田一徳斎を最後に一時道統は絶えた。一徳斎の意をくんだ大西英隆と早川幸市、中村小仁太相談役が百錬会そして宗本部を立ち上げ、道統を復活させて当流を再興した。これより印可は免許、免許皆傳、免許奥傳と三段階となる。宗本部は創立三十七周年を迎え、二代宗部長として岩佐勝橋舟斎がその流法を伝える。

系譜

流祖(神陰流)松本備前守紀政元-二代(新陰流)-上泉伊勢守秀綱-三代(神影流)奥山休賀斎平公重-四代(真新陰流)小笠原源信斎源長治-五代(新陰直心流)神谷傳心斎平眞光-六代(直心正統流)高橋直翁斎源重治-七代(直心影流)山田一風斎藤原光徳-八代長沼四郎左衛門国郷-九代長沼活然斎藤原綱郷-十代藤川弥司郎右衛門近義-十一代赤石郡司兵衛孚祐-十二代団野眞帆斎源義高-十三代男谷精一郎信友静斎-十四代榊原鍵吉源友善-十五代山田次朗吉一徳斎-(百錬会会長)大西英隆百錬斎-(初代宗本部長)早川幸市匠建斎-(二代宗本部長)岩佐勝橋舟斎

流儀の特徴

 当流の形は、御祭神「武甕槌神」の時代から伝わる武を土台にして五百年以上の歳月をかけて、十五人の武人たちが必死三昧で創り上げた日本を代表する姿である。五つの形のほかに秘伝で四神之形はじめ多数伝承されている。また、当流は剣術以外に槍術、体術、弓馬術などが存在する、鹿島に伝わる総合武術である。

活動状況

鹿島の流法を広めるため、書籍『鹿島神傳直心影流』を発行、毎年五月に鹿島神宮御田植祭奉納、十一月に明治神宮、また、京都などで奉納演武。平成十九年DVD二巻発行(一二〇分)、英語版制作中。

●稽古場及び支部
▽宗本部道場
〒273-0003
千葉県船橋市宮本3-8-17
▽京都支部(渡辺時次)行司 元
電話(077)573-3519
振棒(一円相大道剣)振棒(一円相大道剣) 法定之形(手ノ内)法定之形(手ノ内)