戸田派武甲流薙刀術

 第二十一代宗家

建入 久代

〒250-0005

神奈川県小田原市中町1-10-12-409

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  建入久代

由来

 流祖である戸田清源は、越前福井の戦国大名 朝倉義景に仕えた武将で、後に中条流の本流を継いで戸田流と称した。
 流儀は越前から北武蔵に流れ、小田原後北条の三代氏康の三男で、現在の埼玉県寄居にあった鉢形城主、北条氏邦、夫人の大福御前に伝えられた。氏邦は北条氏勢力の北辺を守っており、豊臣秀吉の小田原攻めに伴って、鉢形城も籠城戦をとって奮戦したが、圧倒的数の豊臣軍勢により落城した。
 道統は氏邦家臣の強矢弾正維行が四代を継ぎ、甲源一刀流で紀州家指南役となった十三代の強矢良輪武行に至るまで、代々強矢家が伝承している。武行は江戸四谷に道場を設け、さと夫人と共に多くの門人を育てた。晩年は秩父武甲山麓に過ごして武甲斎と名乗り、薙刀術を戸田派武甲流と称し、この頃より武甲流が歴史の表舞台に登場する。十四代を強矢さとが継ぎ、以後十九代の新田寿々代まで女性が代を継承している。
 前宗家 中村陽一は、甲冑武術としての技の味を追い求め続けた。

系譜

戸田清源 - 北条氏邦 - 大福御前 - 強矢弾正維行 - (以下強矢略) - 頼行 - 維利 - 維明 - 庸勝 - 頼忠 - 忠賀 - 維政 - 維賀 - 良輔武行 - 佐登夫(さと) - 小松崎古登夫(こと子) - 矢沢勇夫(いさ) - 村上秀雄(秀子) - 小林清雄(せい子) - 新田寿々雄(寿々代) - 中村陽一 - 建入久代(二十一代)

流儀の特徴

一、戦国時代の甲冑武芸である。甲冑着用の武器操作が技の根底となり、
  防御のうすい部分をねらって薙ぎ上げ、突き入れる。
二、薙刀の有効な間合いを保つために、手の通いと足捌きにより、
  長ものを長く使う。
三、素早い体捌きにより、刃のみでなく石突をも有効に使う。
四、太刀、槍、鎖鎌などの異種の武器であっても、薙刀一本で対し、
  全て薙刀が勝つ。

形の名称

正伝として
 薙刀には合薙刀(薙刀対薙刀)十一本、太刀合、槍合、鎖鎌対薙刀 各五本
 鍵付薙刀には太刀合、槍合各五本がある。

活動状況

●稽古場
▽神奈川県小田原市 武陽館道場
 小田原スポーツ会館(神奈川県小田原市南町1-1-40)1階武道場
 稽古日 毎週日曜又は土曜(詳細はホームページにて)
合薙刀「合位」

合薙刀あいなぎなた合位ごうい

合薙刀「突留」合薙刀「突留」 合薙刀「飛乱」合薙刀「飛乱」