關流炮術

 十一代宗家

関 正信

〒300-0054

茨城県土浦市西真鍋町10-7

■ 電話(029)821-2135

  関 正信

由来

 流祖は元米沢藩上杉家臣関八左衛門之信で、同藩霞流の祖・丸田九左衛門盛次に師事し、元和三年(一六一七)その奥義を極めた。その後さらに諸国の炮術家と接して、工夫改良を積んで關流を開祖した。南蛮流とも号した。
 寛永年中、上総の国久留里藩土屋家に仕え、江戸屋敷において藩内外に炮術を指南して、幕末まで続いた。この大筒町打の修行入門は士分以上に限られ、免許を授けた門弟は諸国の大名、藩士にも広く及んでいる。幕末に至り幕府をはじめ諸藩は挙って洋式銃に移行したが、当藩は火縄式銃との長短を吟味の末、各人の望むほうを選ばせ、両方式共に採用して火縄銃も重視された。
 關流の銃は、独自の仕様により一貫して国友丹波並びにこの技術を受け継いだ鉄砲鍛冶に指定されて特注されてきた。明治五年、壬申以来中断されたが、現在は初代からの伝書・記録・古文書が火縄銃と共に残されている。日本の歴史文化財として、日本古武道としても後世に伝えるべく専念している。

系譜

流儀の特徴

当流は炮術・火術・兵法など全般に及ぶが、特に大筒町打ちを特技とした。士分以上のものが起請文を取り、修行を赦された。
 火縄銃は十文目玉筒から九百目玉筒を使用して、常時の稽古は各流派とも弓術と同じ十五間の藩邸内の星場で行われたが、町打ちは領内の広野に百間から三十六町におよぶ打ち場を設けた。銃は關流独特の仕様により作られ、火薬量、種類、照準はすべて算式によって、長年月の修行を重ね、命中精度は極めて高かった。

活動状況

正月稽古初め、七月稽古納めを恒例行事として実弾射撃研修を全員で実施。
 土浦市主催の年中行事として「土浦藩關流炮術公開演武大会」を城址本丸で開催、拾文目玉から九百目玉筒を空射撃で演武披露。
 伝書古文書を国立歴史民俗博物館にマイクロ写真撮影製本し研究資料として閲覧できる。

●文化財指定
 火縄銃  九百目玉筒銘「谷神」、二百五十目玉筒銘「抜山銃」、土浦市指定文化財工芸品、昭和四十六年七月十三日指定
 鉄砲塚  江戸末期築造された鉄砲射撃稽古場の安土。高さ六メートル・底面幅二六メートル・奥行き一〇メートル、土浦市指定文化財史跡、昭和四十六年七月十三日指定
九百目玉筒 据台町打ち =土浦城址演武大会九百目玉筒 据台町打ち
=土浦城址演武大会
土浦市文化財に指定されている火縄銃 (上)九百目玉筒 銘「谷神」、 (下)二百五十目玉筒 銘「抜山銃」土浦市文化財に指定されている火縄銃
(上)九百目玉筒 銘「谷神」、
(下)二百五十目玉筒 銘「抜山銃」