関口流抜刀術

 第十六代宗家

松岡 秀樹

  松岡 秀樹

由来

 熊本に伝わる関口流抜刀術いあいの源は、和歌山の関口流武術にある。その創始者関口六右衛門氏心の長男氏業を流祖とする。氏業の高弟渋川伴五郎は、元禄年間、江戸に道場を開いていた。肥後藩士井沢長秀は、そこで抜刀の部のみを修め、肥後にこれを伝えた。細川藩の武術指南であったので、大いに普及し、肥後流居合と称されるまでになった。思うに、その技の剛毅朴訥さが、重ねの厚い肥後の刀、同田貫の操法に適したのであろう。
 熊本の俚謡、キンキラ節に、「肥後の刀の下緒の長さばい……まさか違えば玉襷」とあるが、肥後武士は、関口流を心得ていて、下緒は、即襷となった。
今も、介錯の儀法などが正しく伝承され、免許には巻物が用いられる。当流が肥後武士の精神文化に寄与したものは計り知れない。長秀は、文才にも優れ、著書は多数あるが、中でも、『武士訓』は有名で、武士道の規範を示し、武士は、文武両道に励めと強調している。

系譜

関口流武術祖・関口弥六右衛門氏心-抜刀術流祖関口八郎左衛門氏業-二代渋川伴五郎-三代井沢長秀-四代井沢長勝-五代井沢長明-六代大里右金吾-七代井沢長保-八代井沢長常-九代谷永勝-十代匂坂正常-十一代谷永質-十二代野田甚内-十三代大石永勝-十四代青木規矩男-十五代米原亀生-十六代松岡秀樹

流儀の特徴

太刀の技には、飛違い切りと称して、振りかぶった刀を振り下ろすとき、左右の足を踏みかえる激しい斬撃法をなす。小太刀の場合も、飛違いの動作で突く。掛け声は、敵を圧倒するように、高く、大きく、そして長くかけることを特徴としている。
 座り方は、武士の行ったそのままに、股間を大きく開いて座る関口流柔術の座り方を踏襲している。全て片手切りであることは二天一流と同じである。

活動状況

毎年、熊本での講習会を実施し、更に日本古武道演武大会・鹿島神宮奉納演武・熊本県古武道演武大会(熊本城お城まつり)など全国各地の演武大会で披露している。

●稽古場及び支部
▽熊本武道館
 本部
 〒861-5280 熊本県熊本市西区松尾2丁目-27-43 松岡秀樹
  電話(096) 329-4367
▽名古屋支部 森孝浩
▽東京支部 中山洋一
▽大分支部 麻野和巳
▽長野支部 林憲一
▽滋賀支部 大西秀雄
小太刀の形・最後の止め小太刀の形