竹生島流棒術

 十八代宗家

松浦 寛澄

〒856-0807

長崎県大村市宮小路3丁目1937-2   

■ 電話(0957) 55-1686

■ 竹生島流棒術 ホームページ

   http://chikubujimaryu.net/

  松浦 寛澄

由来

 竹生島流棒術の流祖は難波平治光閑という人で、琵琶湖の竹生島弁財天を信心し、長刀一流を夢想奉得した。今から八百余年前(寿永三年頃)の源平合戦に出て、その長刀でよく働きを極めたが、戦いの最中に長刀の込本から折れ、柄ばかりになりながらも、その残った柄を長刀の手で使い大勢を討ち取ったという。これから棒を編み出した。これはひとえに弁財天の冥恩であるとして、竹生島流棒術と名付けられた。
 棒の前身である長刀は難波流といい、流祖・難波平治光閑は摂津の人で二代目宗家も摂津、三代目からは出羽庄内(山形県)に伝わり、十七代宗家の時に長崎県に移住し、現在の宗家に継承されている。

系譜

流祖(摂津)難波平治光閑-二代(摂津)竹内文左衛門-三代(庄内)佐藤里右衛門-四代(酒田)佐藤七兵衛-五代(酒田)梶原久三郎-六代(鶴岡)清水弥太夫-七代(鶴岡)岡田安兵衛-八代(鶴岡)大戸亦助-九代井上祐平-十代村上文六-十一代上野和吉-十二代大屋喜八-十三代大屋作右衛門-十四代関弥次兵衛長明-十五代岩瀬一心斎重周-十六代松浦政次郎好易-十七代松浦良夫易信-十八代松浦寛澄(長崎)

流儀の特徴

八百余年の古い形そのままで、敏速と手数の少ない極致の技で急所をつき、敵を倒さなければならない。そのためには心と気合と技とが冴え、合体して棒を真剣以上に強いものに到達できるよう修練せねばならない。そして、一本一本の極致を得て臨機応変、相手の出方に対処できる修業を要する。

活動状況

本部道場では毎週土曜日午後六時から稽古を行い、老若男女が修練を続け、地元のほか福岡市からも休むことなく通い続けている。地方では神社仏閣への奉納演武、日本武道館での演武を目標にし、技の稽古のみにとどまらず、免状内の解説や内容の研究、古文書の解説、真髄、探究の勉強会も行っている。

●稽古場及び支部
 ▽本部道場
  〒856-0807 大村市宮小路1丁目昊天会館
  毎週土曜日 午後6時〜
 ▽山形県鶴岡市
  毎週金曜日 午後7時〜
表の形「ひじおい」=厳島神社にて表の形「ひじおい」=厳島神社にて 滝流しの構え滝流しの構え